紛らわしい Mini MK3 1969〜1971

南アフリカ学

Riley Elf と Wolseley Hornetのトランク付きリアエンドと標準のADO15Miniのフロントフェイスを組み合わせた紛らわしい名前のMini MK3を紹介します。

1960年代後半、南アフリカでMini事情は混乱の連続でした。本国、英国でBritish Leylandが設立され合併されたことにより、Leyland South Africa が設立され短期間、自動車部門をLeykor(英語とアフリカ語の両方で通用する名前)と名付けました。

Leykorの設立後の1969年9月、Austin,Morris,Wolseley等のブランドは廃止され英国と同様に南アフリカのMiniシリーズは単に「Mini」になりました。

Leykor Miniの新ラインナップのトップは、リアが拡張されたモデルである MK3(大文字で表記)で、ミニ MK3 は、1970 年代初頭に南アフリカで販売されました。
当初の計画では、南アフリカでこの車をエルフと呼ぶ予定でしたが、すでに現地のトラックの名前であったため、使用することができませんでした。

ライレーエルフとウーズレーホーネットは 1969 年半ばに英国で生産終了し、拡張されたリア エンドの金型を南アフリカに配備して、トランク容量が 50% 大きいミニを導入する予定でした。

ウーズレー1000 は、当時その金型が無かった為、通常のMiniのトランクでした。当時、南アフリカの厳格な現地調達規制の状況では、拡張されたリアエンドのパネルを英国から輸入することは意味がありませんでした。

しかし、最初のミニ MK3 は英国製のパネルを使用して製造されました。金型が配備されれると、現地でのプレスへ切り替えが予定されていた。MK3 の製造期間が短く、販売数も少なかったため、すぐに廃棄される予定だったことを考えると、実際に金型が配備されたかどうかは不明です。ゲイドンで開催された取締役会議事録によると、1970 年 3 月 (英国でのエルフ/ホーネットの生産が終了してほぼ 1 年後) には、「ミニ エルフ」のパネルがまだ英国でプレスされ、南アフリカに輸出されていました。

トランクが大きくなた事とは別に、MK3 に導入された変更点には、内ヒンジと巻き上げウインドウを備えたドアが含まれていました。これらは実際、英国で同時に導入された Mini Mk3 シリーズと同じ変更でした。これらは、南アフリカがオーストラリアから輸入していたオーストラリア ミニ ドア (三角窓付き) に代わるもので、その後の 2 つの安価なミニ、「1000 スタンダード」と「1000 デラックス」にも取り付けられていました。

ブレーキライニングはより大きくなり、新しい圧力リリーフバルブによりリアのロックアップが防止されました。新しいリモートコントロールギアボックスの 4 つのギアすべてにシンクロメッシュが装備されましたが、ドライコーンサスペンションが取り付けられました。これは、間違いなく優れているハイドロラスティックサスペンションシステムを取り付けるよりも、最も重要な「現地調達率」の確保に適していました。

動力は南アフリカで製造された 998cc Aシリーズエンジン。標準ミニよりも全長が21.3cm長く、重量は36.3kg重かった。

Mini MK3 成功しなかった

南アフリカで MK3 はそれほど感銘を受けませんでした。価格が高すぎたそうです。2 年間で販売されたのはわずか 3,871 台 (ロングブリッジでの Mini の 1 週間の生産量に相当) でした。

南アフリカのミニ専門家、ライノ・バースターが語るところによると、1970年初頭にMK3にクラブマンのフロントフェイスと大型の1098cc Aシリーズエンジンを搭載し、1970年末に現地調達率が高いモデルとしてリリースする予定だったそうです。

その後、1971年秋にミニ・クラブマン・セダン(エステートも短期間製造された)に置き換えられMK3シリーズの生産は終了しました。

この事を考えると、私達の主治医が所有・制作したクーズレーはまさに「南アフリカの夢」を叶えた1台だった事になります。

フロントフェイスは移植して制作した1台ですがしっかりとフロントガラスには南アフリカのTAXシールが貼ってあり元々はアフリカモノだった事がわかります。

タイトルとURLをコピーしました